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5月30日に開幕する「FIFAコンフェデレーションズカップ 2001 KOREA/JAPAN」のため、Jリーグは5月19日の試合をもってしばらく中断しましたが、清水エスパルスとジュビロ磐田は、休む間もなく、別の戦いに挑みます。「アジアクラブ選手権」と「アジア・カップウイナーズ・カップ(ACWC)2000/2001」です。

清水エスパルスは、5月12日のJリーグの試合を終えるとサウジアラビアへ乗り込み、「アジア・カップウイナーズ・カップ(ACWC)2000/2001」の決勝ラウンドに出場しました。昨年のチャンピオンである清水エスパルスは、サウジアラビア、イラン、中国のクラブチームとトーナメント戦を行い、V2に挑みます。

初戦は5月17日に中国の大連實徳と戦いましたが、延長後半にVゴール負けを喫してしまいました。5月19日にはイランのエステグラルと3位決定戦を行い、3-1で勝利をおさめています。敵地サウジアラビアでの試合でしたし、暑さと高い湿度、長い芝という悪いコンディションにも苦しめられたようです。

開催が2003年に延期された「世界クラブ選手権」にアジアチャンピオンとして出場するジュビロ磐田は、韓国に乗り込み、韓国、カザフスタン、イランのクラブチームと「アジアクラブ選手権」に挑みました。5月24日に行われた準決勝では、カザフスタンのパヴロダールに1-0で勝利をおさめました。ところが26日の決勝戦、韓国の水原三星戦では、0-1で敗れてしまいました。この試合では、主審のジャッジがやや韓国有利に働いていた感(ホームタウンディシジョン)があり、苦戦を強いられました。世界の舞台に立つ前に、ぜひともアジアチャンピオンの座を守って欲しかったのですが、2年連続の準優勝という結果に終ってしまいました。

清水エスパルス、ジュビロ磐田とも敵地(アウェイ)でのとても厳しい戦いでした。本来、国際試合はホームとアウェイで1試合ずつ行うのが世界標準なのですが、アジアの戦いでは、このような変則的な方式が採られることがしばしばあります。言うは易しですが、こうした厳しい戦いにもぜひとも打ち勝って、アジアの中での確固たる勝利と、世界の舞台への挑戦権を獲得していって欲しいものです。清水エスパルス、ジュビロ磐田だけでなくJリーグのすべてのチームには、Jリーグ(日本国内)の優勝争いだけでなく、世界への挑戦・世界への飛躍の扉が用意されているのですから。
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