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Jリーグがスタートしたのは1993年ですが、正式に「J1リーグ」と「J2リーグ」の2部制になったのは1999年のことです。Jリーグ設立当初から1999年の2部制スタートが決められていて、準備が進められていたのでした。

J1の年間順位の下位2チームが翌シーズンJ2へ降格し、J2の上位2チームがJ1へ昇格するのは、ご存じのとおりです。たいへん厳しいシステムと思われるかもしれませんが、これは世界のどこでも取り入れられている方式、フットボールの国際標準なのです。その厳しさが、リーグ戦のレベルを引き上げ、クラブの足腰を強くし、各地でスポーツ文化を浸透させていくのです。

さて、J1への昇格争いですが、毎年、最後の最後の瞬間に大ドンデン返しが待っています。1999年は、昇格目前の大分トリニータがFC東京に逆転で昇格をさらわれ、2000年もやはり、大分が浦和レッズに土壇場で昇格(浦和の場合はJ1復帰)を許してしまいました。そして今年も、最後の最後に大ドンデン返しが待っていたのです。

リーグ戦の場合、ワールドカップ予選であれ、国内リーグであれ、最終戦は全試合同時刻にキックオフするのが国際標準です。他のスタジアムの動向に、一喜一憂しながらの観戦となります。それだけスリルと喜び(落胆)も大きくなるのです。

2001年11月18日、13:00にJ2の最終戦がいっせいにキックオフされました。昇格争いは、すでに京都パープルサンガがJ2優勝(昇格)を決めており、残るイスは1つです。

2位につけているのは、モンテディオ山形で勝点80ポイント。3位はベガルタ仙台。勝点は山形と同じ80ポイントですが、得失点差(ゴール数と失点数の差)でわずか2ポイント劣ります。まだ、かすかな望みを持っているのが大分、勝点は77ポイントですので、最終戦にどうしても3ポイントを加えて80ポイントとし、山形と仙台が敗れるのを待ちます。

どうしても有利なのは山形です。最終戦はホームでの川崎フロンターレ戦。川崎は、今年J1から降格してきたのですが、J2の中ほどに低迷しています。仙台は、アウェイでの京都戦。優勝と昇格を決めてホッとしているであろうとは言え、難敵です。そして大分は、アウェイでのサガン鳥栖戦。普通に考えれば、山形が昇格を決めるところでしょう。

ところが、そんな風に簡単にいかないのがフットボール。あと1勝、あと1点というところの難しさは、おそらく他のスポーツでは見られないものでしょう。現に今回も、ほんの3週間前までは仙台が首位を走っていたのに、その後2連敗、先週は2万人のサポーターの必死の声援にもかかわらず、鳥栖に逆転負けで、逆に苦しい立場に追い込まれていたのです。

私は、TVで3つの試合をザッピングしながら観戦しました。1万7000人を超えるサポーターが詰めかけたスタジアムで、山形は序盤から川崎ゴールを激しく襲うものの、どうしても、ゴールをこじ開けることができません。一方、仙台からも多くのサポーターが駆けつけ1万3000人もの観客が見守る中、仙台も難敵・京都の前に苦戦です。

同じく1万3000人もの観客が集まった鳥栖VS大分の試合でも、大分はリードを許し、終盤にようやく同点に追いつくという苦しい展開です。

山形も仙台も、0-0のまま試合は終盤にさしかかります。山形は、とうとう90分間でゴールを奪うことができず、後半終了のホイッスルが吹かれました。延長戦突入です。大分も1-1のまま延長戦突入です。大分の昇格の望みはついえました。

残るは、まだ後半終了のホイッスルが吹かれていない京都VS仙台戦。

もうロスタイム、残り時間はわずか数分でしょう。その時、左サイドでボールをキープした岩本輝雄(元日本代表)が、相手ディフェンダーを目の前にしながら、フワリとしたロビングを送ります。そのボールに、ゴール前やや右寄りでヘディングで飛びつき前へ送ったのが山田隆裕(元日本代表)、そのボールに飛び込んでダイレクトボレーを合わせたのがNo.10の財前宣之(1993年のU-17ワールドユース選手権の日本代表のNo.10で、大会ベストイレブン)。仙台が、ついに京都ゴールをこじ開けました。そして試合終了のホイッスル。またまた今年も、劇的な展開で、ベガルタ仙台が逆転昇格を決めたのでした。

きっと来年も、再来年も、J2の最終戦はこんな凄いライブを見せてくると思います。
この最終戦だけでなく、アルビレックス新潟にとっては昇格への天王山となった11月3日の新潟VS京都戦には、何と4万2000人を超える大観衆が集まりました。新潟は、この試合で残念ながら逆転負けを喫し、昇格争いから脱落してしまったのですが、J2のシャレのきかない勝負のかかった真剣な戦いは、普段はあまりサッカーにさほど興味・関心のない方々にも、強く訴えかけるものがあるのだと思います。

京都VS仙台の試合終了後、財前のインタビューを聞いていて、私は目頭が熱くなりました。

1993年のU-17ワールドユース選手権の日本代表(U-17日本代表)には、現在の日本代表の中心選手、中田英寿(パルマ)や松田直樹(横浜F・マリノス)などもいましたが、財前のチームといっても過言のないチームでした。ベスト8で敗退したにもかかわらず、大会のベスト11にも選ばれたことが、それを象徴しています。その後、財前は幾度ものケガに苦しめられ、スポットライトを浴びる場所から遠ざかり、所属チームも海外を含めて転々とし、数年前から仙台でプレーしているのでした。「仙台に来てよかったです」と言った財前に、「よかったなあ、財前」と声をかけたくなったのでした。

土壇場で昇格を逃したとは言え、モンテディオ山形の奮戦ぶりは素晴らしかったと思います。今シーズンのJ2で、もっとも素晴らしいフットボールを見せてくれたと思います。
また、素晴らしいと思うのは、クラブ経営(チーム経営)方針のことです。実は、山形は昇格争いをしている最中に、中心選手をJ1のコンサドーレ札幌に移籍させました。札幌の方からオファーがあり、それに対して快く送り出したというわけです。普通なら、考えられないことかもしれません。でも、ここに、プロスポーツクラブ経営のヒントが隠されていると思うのです。

運営資金に恵まれているチームは、ほんの幾つかのクラブに過ぎないのです。それは日本だけでなく、イタリアでもブラジルでも、どの国でも同じなのです。それ以外の中堅もしくは弱小クラブはどうするのか。それは優秀な選手を育て(ユース=下部組織から育て上げたり、他のチームから獲得した選手をさらに成長させたりして)、運営資金に恵まれているビッグクラブへ放出し、移籍金を獲得する、ということです。

日本では、「放出」というとマイナスイメージが植えつけられていますが、実は、選手にとってはステップアップ、クラブにとっては重要なビジネス手法なのです。日本では、こんな手法と発想がまだまだ根づいているとは言えません。それが根づいた時にこそ、Jリーグの各クラブの経営内容も今より安定するでしょうし、何より、全国各地の、地方のスポーツ文化が花開くのではないでしょうか。

そんなことも考えさせられたJ2のドラマでした。
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