2000 Winter

2000年12月31日(日曜日)
 高校サッカーの桐蔭学園VS大阪朝鮮の試合を見たが、まるで日本VS韓国の試合だった。
 立ち上がりから、体力・走力にモノを言わせ、蹴って走るのサッカーを展開する大阪朝鮮。また、激しい圧力とボディコンタクトが迫ってくる。一見、押され気味だが、技術とスキルとスマートさがあれば、問題なく「いなす」ことができる。もちろん、前提として、相手の表面的な迫力に気負されない闘争心が不可欠だが。
 それにしても、サッカー中継を担当するアナウンサーの能力というものは、どうにかならないものか。この試合でも、1st half(前半)で3点をリードすれば、当然2nd halfは無理をしない。それをあたかも、一方的に攻め込まれているかのような実況をしてしまう。相手は3点のビハインドがあるのだから、懸命に前がかりになってくる。そこを巧みにしのいで、カウンターを仕掛ける。そのカウンターで追加点が得られれば言うまでもない、そういうものだろう。この試合でも、フィニッシュでミスらなければ、90%の確率で追加点となっていた場面が少なくとも3回あった。実際にそういう場面を目の当たりにしないと、そして最終スコアで表れないと、わかっていかないのだろう。そんなのでは、どこが一体プロフェッショナルだと言うのだろうか。こんな実況では、少しでも目の肥えた(目が肥えかけた)視聴者にはもはや不満足だし、初心者的視聴者も含めた視聴者全体のレベルも上がっていかない。実際、そうなっている。(そういうレベルのままで停滞している。)
 ところで、高校サッカーの人気が下降気味だとか一部で囁かれているが、それも当然だろう。クラブスポーツに移行されつつある(移行されなくてはならない)日本スポーツ体制(社会体制)の中で、これから学校体育はますます難しくなっていく。サッカーは、そうしたイノベーションの先頭であるから、特にそうだ。「高校○○」という冠で商売をしようとするメディアも、そろそろ考え直すべき時期だろう。
2000年12月30日(土曜日)
 名古屋グランパスエイトのホームでの年間収益よりも、ナゴヤドームでの中日ドラゴンズVS読売ジャイアンツ3連戦の収益の方が多い、というのは笑えない話だ。試合数が違うという部分はあるが、Jリーグの各クラブは、もっと必死に営業努力を行わなくてはならない。せっかく日本代表の人気があるのに。
 しかし、プロ野球選手の年俸については、「球団」の方は実は相当無理しているのだけど。それはとっくに正常ではない。また、プロ野球の「球団」は、正確にはスポーツクラブではない。旧来の日本社会の伝統である(そして、種目に限らず近年廃部や活動停止が相次いでいる)企業スポーツと同類だ。そこの所は、それぞれの立場や意識・観念・主義そして好み・関心等の違いはあろうと、正確に理解されなくてはならないだろう。
2000年12月29日(金曜日)
 スカパーのWebで、「アントニオ猪木の得意技といえば?」という投票をやっている。
 選択肢は5つで、インデアン・デスロック、ブレーン・バスター、卍固め、延髄斬り、アリ・キックから選ぶようになっている。これまでの投票結果によると、卍固めが57%、次に、延髄斬りの34%ということらしい。
 まあ、一般的には、それも妥当な所だろうが、私は選択肢にバックドロップが入っていないことが不満だ。もし御本人が見ても、たぶんそう思うのではないだろうか。
2000年12月28日(木曜日)
 天皇杯全日本サッカー選手権(リーグカップとの区別がわかりづらいと指摘する向きもあるが、私はこの大会はイングランドのFAカップのような存在だと考えることにしている。)のシーズンになると、毎年頻繁に耳に入って来る音楽が、「日本サッカーの歩み」(不正確だが。)とかいうタイトルの交響曲。
 この曲、ある有名なコンポーザーの手による曲だそうだが、初めて聴いた時から“INOKI BOM-BA-YE”(“ALI BOM-BA-YE”)にソックリじゃないかと思っている。あまり指摘する声はないようだが。
2000年12月27日(水曜日)
 12月7日にドイツ・ハンブルグで行われたUEFAカップ3回戦、ハンブルグSVとASローマの試合を、あらためて見た。
 トッティもバティストュータもベンチだったこの試合、アウエイのローマが3-0で勝ってしまうのだが、中田が出場していたからではなく、ローマにとっては、ベストゲームなのではないか。
 中田も、この試合でフル出場を果たし、実に良い働きをしていた。辛口のコリエレ・デロ・スポルトでも7点を付けるのは当然だろう。
 それにしても中田は、速攻になると本当に素晴らしい攻撃を演出する。もはや、セリエAでも屈指の速攻の担い手だろう。それを生かす最も相応しいチームは、セリエAの「ビッグ7」の中では、再三移籍先として噂にも上がっているパルマであろうことは、大多数が認めるところだろう。(ユニフォームがちょっと嫌だが。)
 ただし、今ではパルマに移籍する可能性は高くない。
2000年12月26日(火曜日)
 日本人のキックボクシングもしくはムエタイのMasterと言えば、藤原敏男以外に考えられない。
 1978年に、タイ500年の伝統を破って、外国人で初めてラジャダムナンの、しかも強者ひしめくライト級のチャンピオンベルトを腰に巻いた歴史的事件は、20年以上経過しても、なんら色あせることがない。
 今年、CS放送で、その藤原敏男の、映像による実戦教本とも言える番組がオンエアされた。
 藤原敏男は実戦教本は残していない(数々の試合映像も十二分に教本となりうるが。)ので、これこそ待っていた映像プログラムではあった。
 その動きや技術や技巧を見ていると、年齢的には50歳を超えたところなので、キックやムエタイのリングでの戦いは難しいが、実戦(ケンカ)は恐ろしく強いだろうというのが確信できる。
 アドリブ的な(ぶっつけ本番のライブ・パフォーマンス的な)収録であったことが推測される中で、様々な藤原敏男流のコンビネーションやヴァリエーションや流儀を、真面目に引き出して見せてくれているところに、彼の人柄も感じることができる。
2000年12月25日(月曜日)
 日本では、全国各地に陸上競技場が結構多い。国体のおかけで、地方でも随分立派な陸上競技場がある。
 その陸上競技場でフットボール(サッカー)の試合が行われる時、もう何年も前から気になって仕方ないことがある。
 日本の陸上競技場は、ピッチ(芝生=天然芝)の面積が、海外の陸上競技場に比べて狭いのだ。もちろん、フットボールの世界大会仕様である、縦105m、横68mを満たすピッチではあるが、ゴールラインの外、タッチラインの外、すぐに芝生がなくなってしまう。日本では、そこに人工芝を敷いている。人工芝を敷いていても、フィールドプレイヤーが、ゴールラインの外、タッチラインの外で、滑ったり倒れたり、相手選手ともつれたりすると、非常に危険だ。ゴールマウスの中にGK(ゴールキーパー)がセービングして落下した時など、苦痛に悶絶していることがある。人工芝では、不十分なのだ。(第一、あの人工芝は非常にコストが高いらしい。人工芝は、意外なほど高価なのだ。天然芝を植えた方がはるかに安上がりのはずなのだが。)
 海外の陸上競技場では、ゴールラインの外はトラック際まで天然芝があるのが普通。ゴールラインの外も、少なくともゴールの後ろまで十分に天然芝がある。
 日本の陸上競技場では、近年はタッチラインの外は割と天然芝がある場合が増えてきたようだが、それでも、海外の陸上競技場と比べると、明らかに見劣りする。ゴールラインの外は、相変わらず天然芝がすぐになくなる。
 日本がFIFAに提出してあるワールドカップ開催提案書には、ゴールライン・タッチラインの外は1.5m以上ピッチを確保すると明記してあるはずだ。それなのに、ワールドカップ開催会場で陸上競技場仕様の会場では、それが果たされているのか。ファイナル(決勝戦)を行うことが決まっている横浜国際総合競技場でも、ゴールラインの外のピッチが1.5mより短いのではないだろうか。FIFAからは何の指摘もないのか、疑問に思っている。
 サッカー関係者の話によると、日本のスポーツ界では陸連の権力が非常に大きく、現在のトラック際まで天然芝を敷かせてくれないのだそうだ。何もサッカーのために天然芝をもっと敷いて欲しいと言っているのではない。フットボールの試合を見ても、陸上競技の国際大会を見ても、海外の陸上競技場では、トラック際まで天然芝があることが国際標準仕様のようなので、日本も是非ならって欲しいと強く希望したい。
2000年12月24日(日曜日)
 America Online利用者の投票によるクリスマス・ソングの・トップ10の第6位に、Elvisの“Blue Christmas”が選ばれたそうだ。1位はお馴染み、Bing Crosbyの“White Christmas”。The Beatlesでは、John Lennonの“Happy Christmas (War Is Over) ”が7位に。
 イギリスでは、イギリス編集のElvisベスト盤“The 50 Greatest Hits”が大ヒットで、アルバム・ チャートのベスト10をキープ。年内に60万枚のセールスを記録(ダブル・プラチナ獲得)するのは 確実だそう。
 またイギリスでは、3月に公開される映画“That's The Way It Is”ニューヴァージョンの劇場 一般公開に合わせて、 私の大好きな“The Wonder Of You”(1970年のイギリス年間No.1ヒットシングル)が再リリースされるそうだ。
2000年12月23日(土曜日)
 2002ワールドカップKOREA/JAPANに関連して、日本と韓国の某新聞社が共同で行った世論調査によると....「関心がある」と答えた人は、日本52%、韓国77%、「関心ない」と答えた人は、日本44%、韓国23%。「共同開催によって日本と韓国の関係がよい方向に進む」と答えた人は、日本65%、韓国61%、「そうは思わない」と答えた人は、日本21%、韓国39%....だそうだ。
 良くも悪くも、現状をよく表している統計ではないかと思う。特に日本については。
2000年12月22日(金曜日)
 セリエAは今度の週末を年内最終戦とし、つかの間の休息に入る。
 中田の所属するASローマは、ホームのスタジオ・オリンピコで、ユベントスと対戦する。情報によると、中田のスタメン起用を推奨するメディアもあるようだが、先週のラツィオとの「ローマ・ダービー」のように、終盤にスーパーサブとしての出場を予測する向きもあるようだ。後者のケースについて、日本の某スポーツ新聞の記事は、「中田がローマの大魔神となって2000年を締め括る」ときた。
 なるほど、メジャーリーグ・ベースボールのシアトル・マリナーズの「クローサー」佐々木投手になぞらえて、「大魔神」ですか。
 いかにも日本のスポーツ新聞的な文章。もう少しはっきり言うならば、ナンセンス。嘲笑すら浮かんでくる。
 いや、フットボールの話題にベースボールのネタをオーバーラップさせることを言っているのではない。そんな理由ではなく、文章そのものが、いかにも前時代的な感覚・テイストの他、何物でもないからだ。今日の読者が何十年も前から成長もしていない、変化もしていないとでも、考えているのだろうか。
 先に引用した例については、「ベースボール・ネタを用いて表現した方が、読者に伝わりやすい。スポーツ新聞の読者は、まだまだベースボール・ファン?が多いし、ベースボール・ネタないしはベースボール・テイストは大多数の国民が慣れ親しんでいるじゃないか。」などという反論も聞こえてきそうだが、事はそういう次元ではないのだ。
 スポーツ新聞の記事、締め括りの文章を見ていると、嘲笑を浮かべてしまうことが実に多い。もちろん、フットボールの記事に限らず。
 例えば、「....脱帽していた。」「....お手上げだった。」「....ア然とした表情だった。」等々。そう描写された本人が見たら、「そこまで言ってない」「そこまで思ってもいない」などと、よく怒り出さないものだと思う。(その他にも、「....をぶつける。」「....炸裂する。」「....するつもりだ。」といった調子で記事を締め括るのが常套手段だ。とにかく、劇画調というか、前時代的というか。)
 読者はもちろん、取材対象(選手なり登場人物)に対する、「こういうものだ」とか、「これでいいに違いない」とか、「こう書いておけばよい」「こう書くものだ」といった、実にステレオタイプ化してしまった枠組みに、何でも、見事なまでに当てはめてしてしまう。当てはめようとしているのではなくて、いわば機械的に、当てはめてしまうのだ。そういうやり方を、変えようともしない。疑ってみようともしない。疑ってみようともしていないことが、ビンビン伝わってくる。
 そこには、クオリティアップやレベルアップや、時代へのマッチングを追求しようという精神の欠片も見られない。それは言い過ぎとも思えないのだ。

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