2003 Autumn-Winter

2003年12月31日(水曜日)
 マンチェスター・ユナイテッド所属のイングランド代表であるポール・スコールズが、最近のフットボール専門誌のインタビューで、来年のヨーロッパ選手権の優勝候補を聞かれてフランスをあげ、その際に、フランスが2002年のワールドカップで不振に終わったのはワールドカップを開催してはいけない愚かな国での一時的なことに過ぎない、と発言したそうだ。(They didn't do so well at the World Cup,but that was just a blip in a stupid country where the World Cup should never have been played.)
 この発言を目にして、昨年のワールドカップでフランスがプレーした(フランスの入ったグループリーグの試合が行われた)国のネチズンが反発しているとか。

 プロジェクトのメンバー会社に対して、あるいは外部のスタッフに対して、敬意ある態度や物言いができないようでは、誰であろうとも気持ちよく仕事などできるはずがない。
 相手を「外注」と思おうと「下請け」と思おうと、それは自由かもしれない。だが、少なくとも相手を「パートナー」として認め敬意を払い、相手の存在がなければ自分の仕事も成立しないのだということを認識できない所には、何の生産的・有機的な営みは発生しえまい。
 さらに、「パートナー」が仕事をしやすいコミュニケーションや働きかけをすること、「パートナー」が気持ちよく力量を発揮したりクリエイティブ作業を営むことができる環境づくりすることも非常に重要。「パートナー」が担当している業務について、その性質や進み方(進行の仕方)を理解することも必要。
 そのためには本来は、「パートナー」の仕事のことを知っていることが必要なのだが、仮にそうした知識や経験が不足していても、普通に仕事ができるならば、ある一定以上の振る舞いは十分可能なはず。相手を「パートナー」と見なす意識があるならば。
 私の経験からしても、仮にキャリアが未熟でも、「パートナー」に対する敬意や配慮があるならば、キャリア不足は一定以上補うことが可能だったと思う。
2003年12月30日(火曜日)
 1993年の「ドーハの悲劇」…つまりは1993年10月にカタールのドーハで行われた、1994年アメリカ・ワールドカップのアジア最終予選の全5試合が一気にオンエアされたので、10年前を振り返りつつ観戦してみた。

 サウジアラビアに引き分けスタートはまあまあの滑り出しだったが、2戦めでイランによもやの敗北を喫してしまった日本は、3戦めの北朝鮮戦から、都並敏史の離脱でウイークポイントとなっていた左サイドバックに、守り専門の勝矢寿延を起用。しかも、勝矢は左サイドは未経験というチャレンジだったにもかかわらず、勝矢は4戦めの韓国戦では都並ばりの攻撃参加を見せるなど、プロフェッショナルな職人ぶりを見せていたことを新発見した。
 北朝鮮と韓国に連勝して迎えた最終戦のイラク戦、いわゆる「ドーハの悲劇」となる一戦だが、ロスタイムのイラクの同点ゴールに繋がったのは、途中出場の武田修宏の安易な折り返しをカットされたことによるイラクのカウンター攻撃がきっかけと思っている人が、実は結構多かったりする。
 実際には、武田の(キープするのが常識なのに、やってしまった)折り返しは確かにイラクにカットされて逆襲を食らいそうになるのだが、それを中盤で阻止したのが森保一。森安はラモスに繋いで、ラモスがまた、ループでイラクのディフェンスラインの裏に出そうとしてしまい、これがショートになってカットされ、再びイラクの逆襲を受けたというわけだ。際どいシュートが日本ゴールを襲い、辛うじてGKの松永成立がコーナーに逃れ、「ドーハの悲劇」が生まれる…。パスミスをしてしまったのはラモスだったというのは、当時から私の目に焼き付いていたのだが、こうしてあらためて検証することができた次第だ。

 だからと言って、それは単なる歴史の検証に過ぎないこと。そんな辛酸があってこそ、今日の日本のフットボールの逞しさが備わったという部分もあるのだから。
2003年12月28日(日曜日)
 従来メディアは折に触れて、Jリーグは観客動員が低迷している、と喧伝する。
 実は、今年のJリーグの総観客動員数は過去最高なのだ。もちろん、J1とJ2を合わせてなのでインチキと言われるかもしれないが、J2だってJリーグなのだからインチキはないだろう。
 J1だけをとっても、ワールドカップ開催があった昨年よりも平均観客数は増加している。平均観客数は、Jリーグブームだった頃に匹敵するものだ。
 こうした辺りも、きちんと大衆に伝えていただかないと困る。本当にそうなのか(Jリーグは低迷しているんだ。)と、単純に思ってしまう人間が大多数なのだから。JリーグやJFA(日本サッカー協会)も、もっとしっかりしていただきたいものだ。
2003年12月26日(金曜日)
 論理性を駆使しなくとも、きわめてサラリと客観的に、シンプルに、あえて悪く言うならある種ビジネスライクに…時にはそんな風に済ませてしまえるような、そういう部分も会得していければと思ったりもする。世の中のドライ感に触れたりした時などに…。
 それがイイというのではなく、ギアの一つとして、ということだ。
2003年12月24日(水曜日)
 ゴールを目指す過程の中で幾ら「形」を作っても、もちろん肝心のフィニッシュ(シュート)の精度やスキルが高くなければゴールマウスをこじ開けることはできないのだが、もう1つ、ラストパスの精度も重要。
 特にクロスの正確性が高いと、仮にフィニッシュの精度やスキルが少しぬるくても、やはりゴールは格段に近くなるようだ。
2003年12月23日(火曜日)
 Engelbert Humperdinckのアルバム(CD)は、ニューレコーディングなのに、例えばUSA版とUK版とでアルバムタイトルを変えたり、トラッキングリストを変更したり追加したりしていて、幾つものアルバムを購入すると収録曲がダブったりすることもある。
 各国それぞれにおいて人気もあるからこそ、とも思うが、こうして海外盤を取り寄せて購入する身にとっては、少々複雑なところではある。
 Tom Jonesは比較的そういう部分は少ないが、コンピレーションアルバムが非常に多くて、Engelbertにも言えることだが、レコーディングデータをきちんと明記して欲しいというのが、私の願望だ。

 そういう点では、ELVISは実にわかりやすい。もっとも、それは没後において整備されてきた部分が大きいし、元来USA版がオリジナル盤であるという点も、大きな要素だと思うが。
2003年12月18日(木曜日)
 プロデュースないしはプロデューサーという言葉なり存在なり意味合いが、非常に注目され、重要視され、広まってきたのが、1990年代から現在に至るこの時代ではないかと思われる。
 ところが今年を振り返ってみると、それが全く欠落した、時代錯誤の、化石のような、そして関わった者にとっては弊害のほか何ものでもないような、そんなプロジェクトの存在がいまだに、実に根強く残っていることを知った年でもあった。
 我々人類は、新しい領域に進んでいるようで、実は退化しているのかもしれない。
 または、革新というのは、こうして何度もの揺り戻しの中でしか進行していけないものなのかもしれない。
 それにしても、弊害を引き起こしている張本人たちに全く自覚力がないことが、最大の問題であり病理。ただし、そういう類いにおいては、もう何とも手の施しようがないのも明白だ。
2003年12月16日(火曜日)
 昨年のワールドカップの70億円にも上る剰余金から、JOC(日本オリンピック委員会)と体協(日本体育協会)のそれぞれに3億円の助成をするそうだ。それ自体は結構なことだが、きちんとワールドカップの恩恵であることをJOCと体協には認識していただいて、それなりの対応を希望したいものだ。

 ところで、これってもしかして、サッカーくじ(スポーツ振興くじ)の助成金がどんどん減ってきていることの穴埋め的なものなのだろうか。
 サッカーくじの売り上げ自体がどんどん減ってきているのは事実なのだが、運営元の人間までが、その原因をサッカー人気がひと段落したことによるものだとコメントしている。
 ちょっと待っていただきたい。別にサッカー人気は下がってもいないし、それとサッカーくじの売り上げとは無関係なものだ。
 サッカーくじの売り上げが減少する原因は、ズバリ、配当が受けられないからだ。コアなサッカーファンだって、配当金獲得にカスリもしない。それも予想が難しいというより、もっと配当を増やせばいいだけのことだ。1等(全的中)の配当を増やすのではない。もっと広く配当を受けられるようにするのだ。そうすれば、サッカーファンだってもっと購入するだろう。
 サッカーくじの売り上げ減少を、サッカー人気のせいにされることを心配していたら、そのとおりになってきた。そのロジックは全く的外れなので、勘弁していただきたい。
2003年12月14日(日曜日)
 1980年から日本で開催されるようになったEurope South-America Cup(通称、トヨタカップ)だが、その存在意義は元々ナンであるし、わざわざ日本において開催する意味も、そろそろ時代にマッチしなくなってきている(さすがに必要性が薄れてきている)というのが、実際のところだ。
 とは言え、いまだにトヨタカップを生観戦したことがなかったのだが、ようやく24回目の開催にして初めて生観戦する機会に恵まれた。

 帰途で、大きな緑色かかった流れ星を発見。
2003年12月06日(土曜日)
 ハードメーカーにおいても、マルチメディアなどという言葉が飛び交うようになった1990年代初めから、コンテンツ屋(コンテンツプロダクション)という存在に対する理解が進んできていたと思っていたが、理解が進んでさらに一巡りして元に戻ってしまったのか、いまだにコンテンツ屋を、ビジュアルデザイン屋あるいはグラフィックデザイン屋と考えるか、それとも、主要業務はアプリケーション作りと見なすか、そのどちらかにしか判断基準ないしは解釈(理解)感覚を持たない(持てない)人が、一時よりも逆に増えているかもしれない。
 今年は、そんな印象を持った1年でもあった。

home BackNumber

Copyright 2000-2005 Koh Takeuchi. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.